HIKONE Web ガイド

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常駐ガイド

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 彦根に観光で見えるお客様が、ガイドを依頼されるのは、通常、事前予約されるのが一般的です。しかし、これまでガイドの事前予約は、旅行社のツアーや団体の幹事さんがサービスの一貫で行われることが多く、個人的な予約はほとんどない状態でした。
 現地に観光にやって来て、ふと思いついて、気軽に声をかけて、ガイドを依頼するのが良いという方もおられるでしょう。
 一方、ガイド協会にとっても、以前から会員の育成とガイド機会を増やすことによって、レベルの向上を図りたい、という考えもありました。
 そこで、一人や二人の方々でも、事前予約の手続きを省いて、手軽に気安くガイドを頼みたいというお客様の要望にお応えしょうということから、私達が「常駐ガイド」と呼んでいる制度が取り入れられたのでした。
 年間の入り込み客数などを参考に、全会員を1班4名体制の4班で編成され、真夏の7~8月と真冬の12~2月を除く、土、日祝日の午前9時30分~12時30分の間、晴雨に関わらず、彦根城表門券売所に待機しています。今年の秋シリーズは、9月1日から11月末まで行われることになりました。「常駐ガイド」は今期で3期目になります。

 9月3日(日)、この夏の猛暑の名残で、厳しい暑さの中、大阪から来られた50代の男性から、ガイドの依頼を受けました。お客様が一人というガイドは初めてでしたが、型どおりの案内もそこそこに、そのうちお互いの会話が始まりました。相手の方は九州出身で、現在大阪で経営に携わっておられるらしく、単身生活を約10年位されているとか・・。私も3箇所で通算9年の単身生活の経験があって、一時、世間話になってしまいました。
 「名所旧跡が嫌いじゃないので、休日にはあちこちに出かけているんですょ」と気軽に話されたので、彦根城に来られた動機をお聞きすると、昨夜テレビで放映されていたので、急に思いついてと言われました。やはりメディアの影響力は大きいと感じたものです。
 「国宝・彦根城 築城400年祭」のお話をすると、興味を示され、もう一度来てみょうかなと、話されていました。
 いつもながら、残暑の中でしたが、気持ちの良い汗をかかせてもらいました。

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玄宮園で虫の音を聞く会

 恒例の夜のイベント『虫の音を聞く会』が、始まりました。玄宮園は、隣り合って建っている槻御殿のお庭として、江戸時代の初期に作られました。私たちは日頃、彦根城見学コースとして、玄宮園も槻御殿もご案内しています。『虫の音を聞く会』が開催されている期間中は、玄宮園だけですが、夜も出務し、ご依頼のあった宿泊施設のお客様をご案内しています。
 満月に近いお月さまの眺められた夜に、私は12名ほどのお客さまをご案内しました。お庭の入り口に立ったときから、虫の音が聞こえ、また吹く風も涼しくて、お客さまと一緒に秋の風情を楽しむことができました。お庭の行灯(あんどん)やライトアップ用の照明機が岩や木々を浮かび上がらせ、また池の水面には、浮かび上がった木々が映えて見えていました。
 緋毛せんの敷かれた椅子が用意されていて、お客さまには、ここでも虫の音とライトアップされた天主などをご覧いただきました。

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   夜の庭 公開はじまり 虫の声
   天守閣 ライトと月とに 浮かびけり

 皆さまのご来場を、お待ちしております。

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ようこそ彦根へ(6)

<佐和山城跡の古道を探して>
 ①.佐和山城跡の古地図には、女郎ヶ谷の下から塩硝櫓にかけて腰曲輪なる古道が描かれている。今、この道がどの様になっているのか? 歩けるのか? 私の仲間で行ってみようと計画したのが、冬の晴れた日でした。
 ②.最初に目指したのが、古絵図に印してある烏帽子岩と七つ岩です。しかし、この岩もどこにあるのか見当もつきません。そのために、太鼓丸の分岐点から鳥居本側へシラミ坂を下り(近江鉄道の近くまで)、下から目標の岩を探しました。冬季は草・ツタ類が枯れているために、岩を見つけることが出来た。そして、直登する組と、左側(シラミ坂)を迂回する組に分かれて登り始めた。すると、直登組から、七つ岩の上で、道らしいものを発見したと、連絡があった。合流してみると、そこには絵図にある古道がはっきり残っていた。女郎ヶ谷と塩硝櫓の中間辺りで、道幅1m弱の古道が、ずっと左右に続いている。ここで昼食をとって、塩硝櫓方面に歩き始めた。所々傾斜部で山崩れがあって、足元の道が分かりづらくなっている。しかし、前方の道を見つけることは容易であった。見事な古道(腰曲輪)となっている。石田三成時代には多くの侍たちが行き交ったところだろうか?

 ③.ある冬の日に、水戸の高校の先生Aさんから、佐和山城跡のガイド依頼があった。「どの様なガイドコースをお望みですか?」とお聞きすると、「普通のハイキングコースではなく、昔のイメージが生まれそうなコースを」とのリクエストがあった。「それでは、長靴またはそれ相当の靴と防寒具を準備してください。」
Aさんは米原からレンタカーで見えた。そして、龍潭寺の駐車場で車から長靴を出し、「山歩きは長靴に限る」と山城経験者らしいAさん。
 ④.最初に案内したのが、塩硝櫓。ここから鳥居本側を見て、二の丸、水の手と、佐和山城跡全体像を説明する。関ヶ原の戦の二日後9月17日に佐和山城は落城しますが、あそこの水の手辺りから防御線が崩れました。(もちろん、身内からの裏切りもありましたが。)この塩硝櫓の所に登ってくる古道があります。後で一緒に行きましょう。
 ⑤.天守に登り、彦根城側および鳥居本側の中山道を中心に説明する。ここ佐和山城が交通の要であることが一目で分かる。また、湖北の浅井、南の六角の地盤も分かる。ここが境目の城だとも認識できる。彦根城を新しく造るときに、佐和山城を破城して、石・木・瓦など全てを持ち去っているはずだが、数年前に石垣の一部が発見された。急な傾斜部であり、この石垣は破城時の土砂で埋まってしまったのだろう。この石垣の石は、意外と小さい。
 ⑥.天守をあとに太鼓丸の土塁・瓦の欠けた一部を見て、堀切の跡、切通しを案内する。立派な堀切であることを確認し、鳥居本側の大手門前で佐和山城全体を説明し、今からの行動予定の三の丸・二の丸を登って、右道を行きます。この頃、どんよりしていた空から小雪が降り出した。急ぎ昼食をとり、小休憩する。
 ⑦.三の丸まででは苦労なしに進む。三の丸から二の丸への山道は、ブッシュをかき分けて進むこともあるが、まあ歩き易い方でしょう。二の丸の急勾配を登ると、つる草で大変ですよ。しかし、驚いたことに、二の丸の下辺りで道に覆いかぶさっていた草・木・つる類が一切なく、見通しの良い状況となっていた。(市文化財課の測量のため、整備中だった。)
二の丸の郭がこんなに広く、また右側の二の丸下郭もはっきりしている。この場所は堀切も残っていて、二の丸全体が堀切で囲まれていた。ここを三成の兄石田正澄が守っていた。平らな所には瓦の破片が残っていることから考えると、二の丸には建物があって、四方の木がなく、見通しの良い、堀切と城壁で守られた櫓は、頑丈だったろうと推測する。
 ⑧.二の丸を過ぎて、絵図にある腰曲輪の古道を女郎ヶ谷の下へと歩く。女郎ヶ谷の方は、古道もはっきりしてなく、ケモノ道となっていて、分かりづらい。また、この頃になって、雪も少し激しくなってきた。それでもAさんは、全く平気な様子。ものすごく山が好きなのだろうな? 女郎ヶ谷の下の古道に来て、女郎ヶ谷の名のいわれを説明する。その後、月見櫓の石垣(大きい石二個が算木積となっている)を見て、龍潭寺へと戻る。雪も止んで、太陽が出てきた。
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