HIKONE Web ガイド

« 2006年11月 | メイン | 2007年01月 »

ガイドコースのご案内 (E)「花の生涯 ウォーキング コース」

JR彦根駅からいろは松まで徒歩(所要時間2時間30分)
JR彦根駅⇒袋町⇒芹川ケヤキ並木⇒旧善利組足軽屋敷⇒夢京橋キャッスルロード・宗安寺⇒旧西郷屋敷長屋門⇒馬屋⇒井伊直弼銅像・花の生涯記念碑⇒佐和口多聞櫓⇒埋木舎⇒大老歌碑⇒いろは松

袋 町
 舟橋聖一の歴史小説「花の生涯」はここからスタートします。…「さっきから、堤の上を往ったり来たりして居る浪人風の男があった。(中略)・・・堤の東は、袋町の花街である。(中略)・・・堤のすぐ下に、軒を並べた娼家の窓から、たか女は、川の水嵩を見ようとして顔を出した時、堤の上の、その男の姿に目を惹かれた。」…長野主膳と村山たか女が出会う、小説の冒頭のシーンです。芹川の北側に今も残る袋町は、彦根一番の歓楽街です。いくつもの細い路地が走り、袋小路になっていることから袋町と呼ばれています。金亀、清瀧も現存しています。「花の生涯」は、昭和27年に、毎日新聞に連載され、その後、NHK大河ドラマの第1回作品として放映されました。直弼が強行した開国の道筋によってこそ、今日の日本があることを広く世に知らしめた舟橋聖一は、彦根名誉市民第1号となりました。

PA290029(辻番所).jpg
善利組足軽屋敷
 江戸時代の建物。足軽屋敷が年々姿を消してゆく中、貴重な建物です。彦根藩は、外堀の外側に、町人の居住区を取り囲むようにして、6箇所に、足軽の組み屋敷を置き、城と城下町を守る役目を持たせました。善利組は、その中でも、最も面積が広く、戸数も700戸を数えました。屋敷地は、南北方向の16の通りの両側にあり、間口5間(約9m)、奥行き10間(約18m)の短冊形を標準として区画されました。平均60坪前後の敷地に、独立家屋が建っています。平成11年には52軒残っていましたが、現在、その数は、著しく減少しています。道幅1間半(約2.7m)の路地を行きますと、当時の面影を残す、辻番所、覗き窓、変則四つ角、くい違い、どんつき等を見ることが出来ます。

DSCN1729(埋木舎).JPG
埋木舎(うもれぎのや)
 埋木舎は、大老直弼の原点を知る上で重要な場所です。正式名は、彦根藩公館・尾末町北御屋敷。彦根藩11代藩主直中の死により、新藩主である兄直亮から捨扶持300俵を与えられた直弼が、17歳から32歳までの15年間を部屋住みとして過ごした場所です。身の振り方の決まらない直弼が、自らを花の咲く事のない埋もれ木にたとえて、埋木舎と名づけました。
 埋木舎での15年間に、茶道、和歌、能、禅、武術、柔術などの文武両道の多くを学び、この時培かった高い教養が、世界を見る確かな目を養い、後に、幕府の命運を担う大老として大きな花を咲かせる事となりました。埋木舎には、直弼愛用の粗末な駕籠、納屋を改造して作った茶室「澍露軒」、長野主膳と三晩語りあった表座敷、村山たかが三味線を弾いた奥の書院などがあります。

« 2006年11月 | メイン | 2007年01月 »

ガイドコースのご案内 (D)「らくらく(バリアフリー) コース」

(車椅子をご利用のお客様にもお城を楽しんでいただこうと、らくらくコースを用意しています。)
二の丸駐車場から往復徒歩(所要時間2時間)
二の丸駐車場⇒馬屋⇒表門橋⇒彦根城博物館⇒内堀の景観
⇒玄宮園⇒井伊直弼銅像⇒花の生涯記念碑⇒二の丸駐車場

P2070051(表門橋小サイズ).jpg

彦根城博物館・玄宮園については、(A)コースと(B)コースのご案内をご覧下さい。

井伊直弼銅像
 開国の英雄井伊直弼は、11代藩主直中の14男として生まれました。5歳にして母と17歳にして父と死別し、わずか300俵の捨扶持で17歳から32歳までの青年時代を埋木舎で過ごし、もっぱら心身の修練につとめました。ところが思いがけなく嘉永3年(1850年)36歳の時13代彦根藩主となり、安政5年(1858年)4月幕府の大老職となりました。
 そのころアメリカのペリーが日本を訪れて開国をせまり、鎖国か開国かと国内は非常に混乱していました。大老井伊直弼は、我が国の将来を考えて同年6月「日米修好通商条約」を調印して開国を断行。この大偉業をなしとげた直弼も大老の心情をくむことのできなかった人々によって万延元年(1860年)3月3日桜田門外で春雪を血に染めて横死しました。時に46歳でした。この銅像は最後の官職でした正四位上左近衛中将の正装をうつしたものです。
PA290051(直弼像小サイズ).jpg