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朝鮮通信使ガイド

 去る8月1日、今年朝鮮通信使開始400年を迎えるに当たり、韓国より32名の方々(教授・学生・一般・放送関係)が来彦されましたので、彦根城・玄宮園・朝鮮通信使が通った道(朝鮮人街道)、そして関連する宗安寺・江國寺をご案内しました。特に江國寺では、1655年に来彦の朝鮮国雪峰が揮毫した「江國寺」と言う扁額に興味を示されました。
<※「雪峰」は明暦元年(1655年)の第6回通信使の書記であった金義信の号>
江國寺扁額.jpg

 宗安寺は朝鮮通信使の三使臣(正使・副使・従事官)の宿泊の場となりました。そして300~500名からなる大使節団は、宗安寺のほか市内のお寺(江國寺・大信寺・明性寺・蓮華寺など)と商家などに分宿されました。彦根藩では一大事業として藩挙げての歓待をし、その費用も莫大な額でした。
 通信使は中山道から野洲行畑で分岐し、永原・江頭・近江八幡・安土・能登川・稲枝・山崎山・後三条を抜け、彦根城下を通りました。1811年まで12回来日し、そのうち10回は彦根で宿泊しています(2回目は京都・12回目は対馬まで)。
P3280074(宗安寺).jpg

 そもそも朝鮮通信使とは、朝鮮国王が日本の武家政権の首領つまり江戸幕府徳川将軍に派遣した公式の外交使節です。徳川将軍の襲職のたびに、祝賀のため来日することが公事化されていました。将軍からの朝鮮通信使派遣要請を、対馬藩宗氏が朝鮮王朝に取り次ぎ、国王が日本行きを決定することで、正使以下一行の官職と人員が編成されていました。
 築城400年祭の関連イベントとして、10月8日朝鮮通信使の行列が行われます。32名のうち何人かの方は、その行事のため改めて来彦されるそうです。通信使の来日は、鎖国を基盤とする江戸時代における、日本国と朝鮮国との交流の絶好の機会であったようです。龍潭寺の白いムクゲは、この交流の一つとして朝鮮通信使が持って来たと伝えられています。