HIKONE Web ガイド

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「虫の音を聞く会」玄宮園の夜景

虫の音を聞く会1.jpg

 仲秋の名月、ライトアップされた玄宮園の池の水面に写る島、そして木々。吸い込まれそうだ。その上には、ぽっかりと彦根城。大袈裟かもしれないが、これぞ幽玄の世界、じつに幻想的である。

 虫の音を聞きながら、しばし、うっとりと眺める。すばらしい、一生の思い出だ、忘れられない、とあちこちで観客の声がする。それぞれ来てよかったと、満足気に帰っていかれた。

 秋が深まるにつれ、紅葉が進む。11月の「錦秋の玄宮園ライトアップ」が楽しみです。

虫の音を聞く会2.jpg

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おもてなしの心

 毎日大勢の観光客をお迎えしております彦根。私達ガイドはお客様が彦根に来られて、「楽しかった」「今度は家族と来たい」「友達を誘って来る」等々と思って頂けるように、それぞれの個性を活かしながら「おもてなしの心」で接したいと願っております。

 仲間のガイド達もそれぞれのキッカケがあってガイドをしておりますが、私のキッカケは、定年後に東北に旅行したときガイドをして頂き、それがとても楽しく忘れられない想い出となったからです。退職後の生き方の一つとして、自分なりに頑張っております。

 天守前の着見台でのガイドは、特に喜んで頂いております。琵琶湖の説明、彦根城の築城された経緯、佐和山城と清凉寺のご案内、また時には「琵琶湖周航の歌」の歌詞をコーピーしてお客様と一緒に歌い、楽しんで頂きます。ガイドにとって大切なことは、自然体でコミュニケーションをとり、話に肉付けをしながら笑顔でと、いつも心がけております。

着見台からの琵琶湖.jpg

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ようこそ彦根へ(13)「NHK大河ドラマ風林火山と彦根藩士(二)」

 前回に引き続き、ご案内します。

⑤脇 五右衛門 家(屋敷は第二郭で、「なまこ壁」が残っている所)
(ア)石高:2,000石、甲斐武田の家臣 土屋宗蔵(昌恒)の組頭、<124人>
(イ)初代「豊久」、通称 五右衛門
(ウ)天正11年(1583)家康の上意により、箕輪城主直政の家臣となる。
(エ)多くの戦に出務、長久手・関ヶ原・大坂の陣で功績があり、4,000石まで上がるも、その後2,000石に下がる。
(オ)慶長2年(1597)上野国高崎で筋奉行となる。

⑥内藤 五郎左衛門 家(屋敷の場所は、大手門前)
(ア)石高:1,500石、甲斐武田、<95人>
(イ)初代「信矩」、2才のとき、武田氏が滅亡。浪人で大坂の冬・夏の陣を戦う。
帰陣後「牢人分」で井伊家に召し抱えられ、元和2年(1616)1,500石。
代々、役職に就かない特異な家格と推定される。
(ウ)養祖父の内藤修理昌豊は、武田信玄に仕え箕輪城主であったが、長篠の戦で討ち死にした。(これからTVに出て来るだろう?)
(エ)父の内藤大和守昌月(秋宜)も諏訪の陣で討死する。

⑦河手 主水 家(屋敷の場所は、楽々園の辺りか?)
(ア)石高:4,000石、甲斐武田に仕えた(赤備えで有名な武将「山県昌景」の家臣)、後に家康に召し出され、天正11年(1583)に井伊直政に付属した。
(イ)井伊谷時代からの重臣 鈴木石見守、家康の付家老 木俣守勝・西郷重員・椋原正直らと並ぶ重臣である。関ヶ原合戦前までは井伊家の主力部隊だった。
(ウ)初代「良則」の妻が直政の姉「春光院」、良則は家康と強い関係にあった。家康の意向で関ヶ原のおり、高崎城代となる。
(エ)2代目「良行」、大坂夏の陣「若江合戦」で戦死する。
(オ)3代目「良富」、幼くして亡くなり、お家断絶となる。
(カ)井伊直政250回忌の嘉永4年(1851)に新野親良3男 敦次郎が河手主水家の名跡を相続し、お家が再興された。幕末に活躍する、軍司令官。

⑧宇津木 治部右衛門 家(屋敷の場所は、彦根西中学校前のテニスコート南側)
(ア)石高:4,000石、武田・北条に仕える、<144人>
(イ)初代「氏久」、通称 下総守、武田勝頼・北条氏直(氏政の子)の家臣だった。
氏直没落後は所領(上野国福島玉村)に戻っていたが、箕輪入封後の井伊直政への奉公を断る。
(ウ)2代目泰繁「勝三郎」、天正18年(1590)に直政に奉公する。
(エ)鉄砲砲術家、2代目は稲富流の祖 稲富一夢から砲術伝授書を得ている。
(オ)幕末に活躍する。

 一度、地図を参考に彦根の家老屋敷跡を歩かれてはいかがでしょうか。

慶長期の第一郭、第二郭.jpg