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ようこそ彦根へ(13)「NHK大河ドラマ風林火山と彦根藩士(二)」

 前回に引き続き、ご案内します。

⑤脇 五右衛門 家(屋敷は第二郭で、「なまこ壁」が残っている所)
(ア)石高:2,000石、甲斐武田の家臣 土屋宗蔵(昌恒)の組頭、<124人>
(イ)初代「豊久」、通称 五右衛門
(ウ)天正11年(1583)家康の上意により、箕輪城主直政の家臣となる。
(エ)多くの戦に出務、長久手・関ヶ原・大坂の陣で功績があり、4,000石まで上がるも、その後2,000石に下がる。
(オ)慶長2年(1597)上野国高崎で筋奉行となる。

⑥内藤 五郎左衛門 家(屋敷の場所は、大手門前)
(ア)石高:1,500石、甲斐武田、<95人>
(イ)初代「信矩」、2才のとき、武田氏が滅亡。浪人で大坂の冬・夏の陣を戦う。
帰陣後「牢人分」で井伊家に召し抱えられ、元和2年(1616)1,500石。
代々、役職に就かない特異な家格と推定される。
(ウ)養祖父の内藤修理昌豊は、武田信玄に仕え箕輪城主であったが、長篠の戦で討ち死にした。(これからTVに出て来るだろう?)
(エ)父の内藤大和守昌月(秋宜)も諏訪の陣で討死する。

⑦河手 主水 家(屋敷の場所は、楽々園の辺りか?)
(ア)石高:4,000石、甲斐武田に仕えた(赤備えで有名な武将「山県昌景」の家臣)、後に家康に召し出され、天正11年(1583)に井伊直政に付属した。
(イ)井伊谷時代からの重臣 鈴木石見守、家康の付家老 木俣守勝・西郷重員・椋原正直らと並ぶ重臣である。関ヶ原合戦前までは井伊家の主力部隊だった。
(ウ)初代「良則」の妻が直政の姉「春光院」、良則は家康と強い関係にあった。家康の意向で関ヶ原のおり、高崎城代となる。
(エ)2代目「良行」、大坂夏の陣「若江合戦」で戦死する。
(オ)3代目「良富」、幼くして亡くなり、お家断絶となる。
(カ)井伊直政250回忌の嘉永4年(1851)に新野親良3男 敦次郎が河手主水家の名跡を相続し、お家が再興された。幕末に活躍する、軍司令官。

⑧宇津木 治部右衛門 家(屋敷の場所は、彦根西中学校前のテニスコート南側)
(ア)石高:4,000石、武田・北条に仕える、<144人>
(イ)初代「氏久」、通称 下総守、武田勝頼・北条氏直(氏政の子)の家臣だった。
氏直没落後は所領(上野国福島玉村)に戻っていたが、箕輪入封後の井伊直政への奉公を断る。
(ウ)2代目泰繁「勝三郎」、天正18年(1590)に直政に奉公する。
(エ)鉄砲砲術家、2代目は稲富流の祖 稲富一夢から砲術伝授書を得ている。
(オ)幕末に活躍する。

 一度、地図を参考に彦根の家老屋敷跡を歩かれてはいかがでしょうか。

慶長期の第一郭、第二郭.jpg