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    <title>HIKONE Web ガイド</title>
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    <updated>2007-11-25T07:24:56Z</updated>
    
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    <title>ガイドコースのご案内</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://400th.heteml.jp/CMS/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=8/entry_id=944" title="ガイドコースのご案内" />
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    <published>2007-11-26T00:11:00Z</published>
    <updated>2007-11-25T07:24:56Z</updated>
    
    <summary>（A）「彦根城・玄宮園 コース」 いろは松駐車場から往復徒歩（所要時間2時間） ...</summary>
    <author>
        <name>彦根ボランティアガイド協会</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hikone-400th.jp/guide/">
        <![CDATA[<strong>（A）「彦根城・玄宮園 コース」</strong>
<u>いろは松駐車場から往復徒歩（所要時間2時間）</u>
いろは松駐車場⇒佐和口多聞櫓(重文)⇒馬屋(重文)⇒鐘の丸⇒天秤櫓(重文)⇒時報鐘⇒
太鼓門櫓(重文)⇒着見台⇒天守(国宝)⇒西の丸三重櫓(重文)⇒玄宮園⇒いろは松駐車場

<strong>（B）「彦根城博物館・彦根城・玄宮園 コース」</strong>
<u>いろは松駐車場から往復徒歩（所要時間2時間30分）</u>
いろは松駐車場⇒佐和口多聞櫓(重文)⇒馬屋(重文)⇒彦根城博物館
⇒鐘の丸⇒天秤櫓(重文)⇒時報鐘⇒太鼓門櫓(重文)⇒着見台⇒
天守(国宝)⇒西の丸三重櫓(重文)⇒玄宮園⇒いろは松駐車場

<strong>(C)「彦根城・玄宮園 英語ガイド コース」</strong>
<u>いろは松駐車場から往復徒歩（所要時間2時間）</u>
Irohamatsu Parking⇒Sawaguchi-tamon-yagura(Turret)⇒Umaya(Stable)⇒
Tenbin-yagura(Turret)⇒Taiko-mon-yagura(Turret)⇒Tensyu(Main Castle Tower)⇒
Nishino-maru Sanju-yagura(Turret)⇒Genkyuen Garden⇒Irohamatsu Parking

<strong>（D）「らくらく（バリアフリー） コース」</strong>
<u>（車椅子をご利用のお客様にも、お城を楽しんでいただけるコースです。）</u>
二の丸駐車場から往復徒歩（所要時間2時間）
二の丸駐車場⇒馬屋⇒表門橋⇒彦根城博物館⇒内堀の景観
⇒玄宮園⇒井伊直弼銅像⇒花の生涯記念碑⇒二の丸駐車場

<strong>（E）「花の生涯 ウォーキング コース」</strong>
<u>JR彦根駅からいろは松まで徒歩（所要時間2時間30分）</u>
JR彦根駅⇒袋町⇒芹川ケヤキ並木⇒旧善利組足軽屋敷⇒夢京橋ｷｬｯｽﾙﾛｰﾄﾞ･宗安寺
⇒旧西郷屋敷長屋門⇒馬屋⇒井伊直弼銅像･花の生涯記念碑⇒佐和口多聞櫓⇒
埋木舎⇒大老歌碑⇒いろは松

<strong>（F）「ご城下寺院 拝観 コース」</strong>
<u>JR彦根駅から清凉寺まで徒歩（所要時間3時間）</u>
JR彦根駅⇒天寧寺⇒大洞弁財天⇒龍潭寺⇒清凉寺（外から拝観）

<strong>（G）「佐和山城跡 登山 コース」</strong>
<u>JR彦根駅から龍潭寺前まで徒歩（所要時間3時間）</u>
JR彦根駅⇒龍潭寺前⇒龍潭寺裏手から登坂⇒佐和山城跡
⇒切り通し⇒湖東焼釜跡⇒石田三成屋敷跡⇒龍潭寺前

<strong>（H）「彦根 宿場巡り コース」</strong>

<u>高宮宿：近江鉄道高宮駅から徒歩往復（所要時間1時間30分）</u>
高宮駅⇒無賃橋⇒三光山円照寺⇒旧本陣跡⇒ふれあいの館⇒旧脇本陣跡⇒高札場跡⇒紙子塚⇒多賀大社一の鳥居⇒高宮地域文化センター

<u>鳥居本宿：近江鉄道鳥居本駅から徒歩往復（所要時間1時間）</u>
鳥居本駅⇒鳥居本宿赤玉神教丸本舗⇒上品寺⇒湖東焼自然斎住居跡（旧鳥集会所）⇒本陣跡⇒ふるさと鳥居本資料館⇒問屋跡

<u>両宿間を近江鉄道で移動（全コース所要時間3時間）</u>

<strong>皆様のガイド依頼を、お待ちしております。</strong>
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    <title>ブログ編集後記</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://400th.heteml.jp/CMS/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=8/entry_id=930" title="ブログ編集後記" />
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    <published>2007-11-17T08:14:14Z</published>
    <updated>2007-11-16T00:22:38Z</updated>
    
    <summary>　彦根城･築城400年祭も残り一週間となり、このブログをご覧いただいてきた皆様と...</summary>
    <author>
        <name>彦根ボランティアガイド協会</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hikone-400th.jp/guide/">
        <![CDATA[　彦根城･築城400年祭も残り一週間となり、このブログをご覧いただいてきた皆様とお別れする日も近づいて来ました。2006年6月17日にスタートしてからちょうど一年半、Web上のガイドとお客様との心の触れ合いを目指して編集して参りましたが、結果はいかがだったでしょうか。
　不慣れな編集作業による多くの不備をお詫びするとともに、このブログに対する皆様の温かいご支援に、心より感謝申し上げます。有難うございます。

　お城のお祭りは、間もなく、とりあえず終わります。しかし、彦根城とそのご城下は、これからも観光していただけます。そして、私たち彦根ボランティアガイド協会の会員も、引き続き皆様のガイド依頼をお待ちしております。どうぞ彦根にお越し下さい。
<img alt="秋の彦根城天守.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/%E7%A7%8B%E3%81%AE%E5%BD%A6%E6%A0%B9%E5%9F%8E%E5%A4%A9%E5%AE%88.jpg" width="480" height="360" />
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    <title>ようこそ彦根へ（14）</title>
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    <published>2007-11-06T08:03:56Z</published>
    <updated>2007-11-04T23:51:09Z</updated>
    
    <summary>　このブログも今回で最終回となりました。多くの方々からアクセスがあり、大変喜んで...</summary>
    <author>
        <name>彦根ボランティアガイド協会</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hikone-400th.jp/guide/">
        <![CDATA[　このブログも今回で最終回となりました。多くの方々からアクセスがあり、大変喜んでおります。
　振り返りますと、彦根城･築城400年祭のイベントの一つであったこのブログが、彦根城の歴史に重点を置きすぎたのかとも、思っています。
　彦根の町を歩かれて感じられるのは、お寺の数と和菓子屋の数の多さだと思います。この様なところにも、城下町の名残が色濃く残っています。
　今回特におすすめしたい所は、文化的伝統技術があるお店です。

　<strong>一店目は、湯葉の大半（Tel. 0749-23-2533）</strong>
　後三条橋の信号手前のスロープの所にある、明治の頃に創業した湯葉屋さんです。お店は小さく、お客様が数名で一杯になる位ですが、店主は気持ちの良い方で、製法から食べ方までを丁寧に教えて貰えます。
　店内には湯葉を作るかまど4個が2列に並んでいて、昔ながらの割木・炭火でもって加熱されています。かまどの上には真鍮のタライ（打楽器のシンバルに似ている）をのせて、その中で湯葉を一枚一枚汲み取っていく技には、感心させられます。かまど方式の湯葉製造の方法は、このお店にしか残されていません。
　和食のプロ料理人・料亭が主な客さんです。試食を含めて、ぜひ訪ねてみて下さい。
<img alt="湯葉屋大半.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/%E6%B9%AF%E8%91%89%E5%B1%8B%E5%A4%A7%E5%8D%8A.jpg" width="480" height="360" />

　<strong>二店目は、錺師（かざりし）佐渡（さわたり）氏の仕事場</strong>
＜錺師とは、金属のかんざしやブローチ・金具などの細かい細工をする職人（広辞苑）＞
　甲冑を作る職人技から発展したといわれる、仏壇を作る店がズラリと並んでいる七曲り通りは、彦根市内から南彦根側へ進むと、一番最初を曲がり150ｍ位の左側に佐渡氏の仕事場兼自宅がある。
　仕事場に入って最初に驚かされるのが、刻印のポンチの数の多さである。このポンチで1mm間隔の網目状模様を打ち出す（描く）。「一生一品」の看板の横に、作品が多く飾られており、見せて頂くと、その緻密な細工には感嘆させられる。
　作品のみならず、佐渡氏自身の職人技も見ることが出来ます。最近は気分転換に「ひこにゃん」「さこにゃん」も作って来客を喜ばせているという、茶目っ気もある。
　佐渡氏は職人さんの堅苦しいところがなく、誰にも心安く声をかけて対応して下さるので、錺職人の技をぜひ見学されることをおすすめします。

　最後に、程無くこのブログを閉じるに当たり、文章を校正したり、ブログのネタを集めたり、ブログ発信に最大の努力をして頂いたM.MUさんに感謝の意を表したいと思います。ご苦労様でした。
　彦根城･築城400年祭の盛り上げに、本ブログをお役に立てて頂けたことと思います。どうも長い間お付き合い頂きまして、有難うございました。さようなら。


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    <title>「虫の音を聞く会」玄宮園の夜景</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://400th.heteml.jp/CMS/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=8/entry_id=906" title="「虫の音を聞く会」玄宮園の夜景" />
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    <published>2007-10-25T11:29:12Z</published>
    <updated>2007-10-24T01:29:56Z</updated>
    
    <summary> 　仲秋の名月、ライトアップされた玄宮園の池の水面に写る島、そして木々。吸い込ま...</summary>
    <author>
        <name>彦根ボランティアガイド協会</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hikone-400th.jp/guide/">
        <![CDATA[<img alt="虫の音を聞く会1.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/%E8%99%AB%E3%81%AE%E9%9F%B3%E3%82%92%E8%81%9E%E3%81%8F%E4%BC%9A1.jpg" width="480" height="360" />

　仲秋の名月、ライトアップされた玄宮園の池の水面に写る島、そして木々。吸い込まれそうだ。その上には、ぽっかりと彦根城。大袈裟かもしれないが、これぞ幽玄の世界、じつに幻想的である。

　虫の音を聞きながら、しばし、うっとりと眺める。すばらしい、一生の思い出だ、忘れられない、とあちこちで観客の声がする。それぞれ来てよかったと、満足気に帰っていかれた。

　秋が深まるにつれ、紅葉が進む。11月の「錦秋の玄宮園ライトアップ」が楽しみです。

<img alt="虫の音を聞く会2.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/%E8%99%AB%E3%81%AE%E9%9F%B3%E3%82%92%E8%81%9E%E3%81%8F%E4%BC%9A2.jpg" width="480" height="360" />]]>
        
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    <title>おもてなしの心</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://400th.heteml.jp/CMS/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=8/entry_id=901" title="おもてなしの心" />
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    <published>2007-10-16T00:59:28Z</published>
    <updated>2007-10-15T00:09:23Z</updated>
    
    <summary>　毎日大勢の観光客をお迎えしております彦根。私達ガイドはお客様が彦根に来られて、...</summary>
    <author>
        <name>彦根ボランティアガイド協会</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hikone-400th.jp/guide/">
        <![CDATA[　毎日大勢の観光客をお迎えしております彦根。私達ガイドはお客様が彦根に来られて、「楽しかった」「今度は家族と来たい」「友達を誘って来る」等々と思って頂けるように、それぞれの個性を活かしながら「おもてなしの心」で接したいと願っております。

　仲間のガイド達もそれぞれのキッカケがあってガイドをしておりますが、私のキッカケは、定年後に東北に旅行したときガイドをして頂き、それがとても楽しく忘れられない想い出となったからです。退職後の生き方の一つとして、自分なりに頑張っております。

　天守前の着見台でのガイドは、特に喜んで頂いております。琵琶湖の説明、彦根城の築城された経緯、佐和山城と清凉寺のご案内、また時には「琵琶湖周航の歌」の歌詞をコーピーしてお客様と一緒に歌い、楽しんで頂きます。ガイドにとって大切なことは、自然体でコミュニケーションをとり、話に肉付けをしながら笑顔でと、いつも心がけております。

<img alt="着見台からの琵琶湖.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/%E7%9D%80%E8%A6%8B%E5%8F%B0%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96.jpg" width="480" height="360" />]]>
        
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    <title>ようこそ彦根へ(13)「NHK大河ドラマ風林火山と彦根藩士（二）」</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hikone-400th.jp/guide/2007/10/13nhk.php" />
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    <published>2007-10-05T05:43:52Z</published>
    <updated>2007-10-04T00:56:23Z</updated>
    
    <summary>　前回に引き続き、ご案内します。 ⑤脇 五右衛門 家（屋敷は第二郭で、「なまこ壁...</summary>
    <author>
        <name>彦根ボランティアガイド協会</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hikone-400th.jp/guide/">
        <![CDATA[　前回に引き続き、ご案内します。

<strong>⑤脇 五右衛門 家（屋敷は第二郭で、「なまこ壁」が残っている所）</strong>
(ア)石高：2,000石、甲斐武田の家臣 土屋宗蔵（昌恒）の組頭、＜124人＞
(イ)初代「豊久」、通称 五右衛門
(ウ)天正11年（1583）家康の上意により、箕輪城主直政の家臣となる。
(エ)多くの戦に出務、長久手・関ヶ原・大坂の陣で功績があり、4,000石まで上がるも、その後2,000石に下がる。
(オ)慶長2年（1597）上野国高崎で筋奉行となる。

<strong>⑥内藤 五郎左衛門 家（屋敷の場所は、大手門前）</strong>
(ア)石高：1,500石、甲斐武田、＜95人＞
(イ)初代「信矩」、2才のとき、武田氏が滅亡。浪人で大坂の冬・夏の陣を戦う。
帰陣後「牢人分」で井伊家に召し抱えられ、元和2年（1616）1,500石。
代々、役職に就かない特異な家格と推定される。
(ウ)養祖父の内藤修理昌豊は、武田信玄に仕え箕輪城主であったが、長篠の戦で討ち死にした。（これからTVに出て来るだろう？）
(エ)父の内藤大和守昌月（秋宜）も諏訪の陣で討死する。

<strong>⑦河手 主水 家（屋敷の場所は、楽々園の辺りか？）</strong>
(ア)石高：4,000石、甲斐武田に仕えた（赤備えで有名な武将「山県昌景」の家臣）、後に家康に召し出され、天正11年（1583）に井伊直政に付属した。
(イ)井伊谷時代からの重臣 鈴木石見守、家康の付家老 木俣守勝・西郷重員・椋原正直らと並ぶ重臣である。関ヶ原合戦前までは井伊家の主力部隊だった。
(ウ)初代「良則」の妻が直政の姉「春光院」、良則は家康と強い関係にあった。家康の意向で関ヶ原のおり、高崎城代となる。
(エ)2代目「良行」、大坂夏の陣「若江合戦」で戦死する。
(オ)3代目「良富」、幼くして亡くなり、お家断絶となる。
(カ)井伊直政250回忌の嘉永4年（1851）に新野親良3男 敦次郎が河手主水家の名跡を相続し、お家が再興された。幕末に活躍する、軍司令官。

<strong>⑧宇津木 治部右衛門 家（屋敷の場所は、彦根西中学校前のテニスコート南側）</strong>
(ア)石高：4,000石、武田・北条に仕える、＜144人＞
(イ)初代「氏久」、通称 下総守、武田勝頼・北条氏直（氏政の子）の家臣だった。
氏直没落後は所領（上野国福島玉村）に戻っていたが、箕輪入封後の井伊直政への奉公を断る。
(ウ)2代目泰繁「勝三郎」、天正18年（1590）に直政に奉公する。
(エ)鉄砲砲術家、2代目は稲富流の祖 稲富一夢から砲術伝授書を得ている。
(オ)幕末に活躍する。

　一度、地図を参考に彦根の家老屋敷跡を歩かれてはいかがでしょうか。

<img alt="慶長期の第一郭、第二郭.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/%E6%85%B6%E9%95%B7%E6%9C%9F%E3%81%AE%E7%AC%AC%E4%B8%80%E9%83%AD%E3%80%81%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E9%83%AD.jpg" width="480" height="362" />
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    <title>ようこそ彦根へ(12)「NHK大河ドラマ風林火山と彦根藩士（一）」</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hikone-400th.jp/guide/2007/09/12nhk_1.php" />
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    <published>2007-09-26T05:32:36Z</published>
    <updated>2007-09-24T21:45:02Z</updated>
    
    <summary>　今年、NHK大河ドラマ「風林火山」が放映されています。このTVの中に、彦根藩士...</summary>
    <author>
        <name>彦根ボランティアガイド協会</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hikone-400th.jp/guide/">
        <![CDATA[　今年、NHK大河ドラマ「風林火山」が放映されています。このTVの中に、彦根藩士の祖先と思われる人物がよく出ています。
　彦根藩は井伊家の石高が多くなるに毎に、今川・武田家の中から、たくさんの人材を召し抱えました。
　そこで、主な藩士を「侍中由緒帳」（彦根城博物館出版）より調べてみました。
　＜　＞内の人員は大洞弁財天祠堂金寄進帳（元禄8年、1695年）

<strong>①木俣 清佐衛門 家（屋敷の場所は、佐和口門の側）</strong>
(ア)石高：1万石、三河の出身、＜452人＞
(イ)初代「守勝」、通称 清佐衛門、後に土佐と称した。
(ウ)徳川家康の家臣であったが、天正10年家康の甲州計略後の10月に武田遺臣を井伊直政の付属としたとき、家康の命により甲州侍の物頭となった。
(エ)椋原政道・西郷正員と共に、家康のもとから井伊直政の付家老になった。
TVには出てないが、彦根藩の筆頭家老として取り上げた。

<strong>②庵原 助右衛門 家（屋敷の場所は、大手門前の裁判所）</strong>
(ア)石高：5,000石、駿河今川の被官、彦根藩の次席家老、＜422人＞
(イ)初代「朝昌」、通称 助右衛門、今川家の被官（上級武士に下属して家臣化）
(ウ)朝昌の相続後、今川家（今川氏真のとき）を去り、武田勝頼に仕官した。
(エ)その後、戸田氏繁に仕官し、秀吉の朝鮮出兵時には戸田家中として従軍する。
(オ)慶長元年（1596）に上野国箕輪にて、津田信成の仲介で直政に召し抱えられる。
(カ)慶長2年（1597）、箕輪を去り浪人になる。
(キ)直政の死後、清洲の松平忠吉の取り持ちにより帰参する。家老加判2,000石。
(ク)TVドラマでは、庵原弥右門尉・庵原安房守忠胤（庵原山城の城主）の名は出てくるが、彦根の庵原との関連はよく分らない。

<strong>③長野 十郎左衛門 家（屋敷は、彦根東高校のある場所）</strong>
(ア)石高：4,000石、上杉家、箕輪出身、＜251人＞
(イ)初代「業実」、通称 伝蔵のち民部、十郎左衛門。
(ウ)TVドラマによく出ている、上杉系で武田とよく戦う、箕輪城主「長野美濃守業政」は祖父。父は「長野業親」で、母は井伊直政の知るところの者。
(エ)業実は家康に召し出され近習となり、天正8年（1580）には箕輪で直政の小姓を務める。
(オ)慶長6年（1601）2,000石、大坂の陣後、庵原朝昌と共に家老職になる。
(カ)2代目以降も家老職を務め、庵原助右衛門家に次ぐ家格は、江戸時代を通じて変わらない。

<strong>④西郷 藤左衛門 家（屋敷の場所は、京橋口門の側）</strong>
(ア)石高：3,500石、遠州国西郷出身、＜169人＞
(イ)初代「正員」、通称 藤左衛門、
(ウ)幼少より家康に仕える、天正10年（1582）家康の関東入国時に、井伊直政が上野箕輪に封じられた際、家康の命で直政の付家老となる。
(エ)軍役は小牧・長久手ほか、関ヶ原の時は箕輪城の留守居城代。2代目重貞が先発で強力な軍団で参戦する。当時の筆頭家老 鈴木重安と並ぶ勢力を持っていた。
(オ)しかし、2代目が早世したため実子が9才で当主となり、大坂の陣では、西郷家としては活躍の場がなく、木俣家のような加増チャンスは活かせなかった。
まだTVには出ていないが、西郷は三方原の戦･長篠の戦で活躍するので、今後出てくるかもしれない。

　次回に引き続き、ご案内します。

<img alt="江戸後期の第一郭、第二郭.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%BE%8C%E6%9C%9F%E3%81%AE%E7%AC%AC%E4%B8%80%E9%83%AD%E3%80%81%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E9%83%AD.jpg" width="480" height="362" />]]>
        
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    <title>まだお逢いしていないお客様へ</title>
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    <published>2007-09-17T03:35:55Z</published>
    <updated>2007-09-16T00:48:36Z</updated>
    
    <summary>　連日猛暑が続き何十年振りかで日本の最高記録を更新した今年の夏も、さすが9月に入...</summary>
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        <name>彦根ボランティアガイド協会</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hikone-400th.jp/guide/">
        <![CDATA[　連日猛暑が続き何十年振りかで日本の最高記録を更新した今年の夏も、さすが9月に入ると秋の気配が感じられるようになりました。城山に登ると琵琶湖の上に掃いたような雲が浮かび、赤とんぼが悠々と空を舞うのが見られます。玄宮園では「虫の音を聞く会」として夜のライトアップも始まり、賑やかに秋の虫が鳴いております。こうして月日は移り、季節が変わっていくのだとしみじみ感じております。
　ご承知のように3月から11月25日までとしてスタートした「築城400年祭」も、3分の1を残すのみとなりました。「ワダエミ衣裳」「北近江の城」「世界遺産レゴ」「開国資料」等々の各展示も好評の内に終了して、これからはラストスパートイベントが続きます。

<img alt="西の丸三重櫓特別展.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/%E8%A5%BF%E3%81%AE%E4%B8%B8%E4%B8%89%E9%87%8D%E6%AB%93%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%B1%95.jpg" width="480" height="360" />
　ここで現在開催中のイベントを1部ご案内させて頂きます。重要文化財の西の丸三重櫓では、「ホリヒロシの人形展」が開催されております。1日の初日にはホリ氏も来られて、珍しい人形舞が披露されたり、本のサイン会もありました。私も長い行列に並びましたが、何と東京から10人余りの自称「追っかけ」のご婦人たちが来られたのには驚きました。
　源氏物語、平家物語、谷崎、三島、泉鏡花、歌舞伎、能などを題材に、170cm程の人形が重文の櫓の中に幻想的に並んでおります。これらの人形を見ていると、ただ器用だけで作れるものではなく、文学、歴史、芸術、美術などの教養の深さが感じられ、人形に命があるようにも思われるのです。
　何度かお客様をご案内いたしましたが、私のつたない表現力ではとても言い表せない素晴らしい人形で、お客さまも感激なさいます。また作者についてのビデオが20分映されますが、何とか時間を割いて見られると、作者の思いも理解できると思いました。

<img alt="天秤櫓特別展.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/%E5%A4%A9%E7%A7%A4%E6%AB%93%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%B1%95.jpg" width="480" height="360" />
　この人形展の櫓と、展示物はありませんが天秤櫓は、築城400年祭イベント中の特別公開です。建物の柱、用材、壁の厚さの違いや菱格子の意味、窓から見える廊下橋などをじっくり見学できます。
　彦根に行こうか迷っておられる方、もう一度行ってみたいと思っておられる方、まだお逢いしていない多くの方々へ、私どもボランティアガイドが、ぜひおいで頂きたく、メールをお送りさせて頂きました。
　お待ちしております!!
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    <title>朝鮮通信使ガイド</title>
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    <published>2007-09-07T06:48:57Z</published>
    <updated>2007-09-06T00:18:55Z</updated>
    
    <summary>　去る8月1日、今年朝鮮通信使開始400年を迎えるに当たり、韓国より32名の方々...</summary>
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        <name>彦根ボランティアガイド協会</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hikone-400th.jp/guide/">
        <![CDATA[　去る8月1日、今年朝鮮通信使開始400年を迎えるに当たり、韓国より32名の方々（教授・学生・一般・放送関係）が来彦されましたので、彦根城・玄宮園・朝鮮通信使が通った道（朝鮮人街道）、そして関連する宗安寺・江國寺をご案内しました。特に江國寺では、1655年に来彦の朝鮮国雪峰が揮毫した「江國寺」と言う扁額に興味を示されました。
＜※「雪峰」は明暦元年（1655年）の第6回通信使の書記であった金義信の号＞
<img alt="江國寺扁額.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/%E6%B1%9F%E5%9C%8B%E5%AF%BA%E6%89%81%E9%A1%8D.jpg" width="480" height="360" />

　宗安寺は朝鮮通信使の三使臣（正使・副使・従事官）の宿泊の場となりました。そして300～500名からなる大使節団は、宗安寺のほか市内のお寺（江國寺・大信寺・明性寺・蓮華寺など）と商家などに分宿されました。彦根藩では一大事業として藩挙げての歓待をし、その費用も莫大な額でした。
　通信使は中山道から野洲行畑で分岐し、永原・江頭・近江八幡・安土・能登川・稲枝・山崎山・後三条を抜け、彦根城下を通りました。1811年まで12回来日し、そのうち10回は彦根で宿泊しています（2回目は京都・12回目は対馬まで）。
<img alt="P3280074（宗安寺）.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/P3280074%EF%BC%88%E5%AE%97%E5%AE%89%E5%AF%BA%EF%BC%89.jpg" width="480" height="359" />

　そもそも朝鮮通信使とは、朝鮮国王が日本の武家政権の首領つまり江戸幕府徳川将軍に派遣した公式の外交使節です。徳川将軍の襲職のたびに、祝賀のため来日することが公事化されていました。将軍からの朝鮮通信使派遣要請を、対馬藩宗氏が朝鮮王朝に取り次ぎ、国王が日本行きを決定することで、正使以下一行の官職と人員が編成されていました。
　築城400年祭の関連イベントとして、10月8日朝鮮通信使の行列が行われます。32名のうち何人かの方は、その行事のため改めて来彦されるそうです。通信使の来日は、鎖国を基盤とする江戸時代における、日本国と朝鮮国との交流の絶好の機会であったようです。龍潭寺の白いムクゲは、この交流の一つとして朝鮮通信使が持って来たと伝えられています。
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    <title>築城400年祭をガイドして</title>
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    <published>2007-08-26T01:44:19Z</published>
    <updated>2007-08-25T01:13:23Z</updated>
    
    <summary>　3月21日から始まった「国宝･彦根城築城400年祭」は、盛況のうちに推移し、は...</summary>
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        <name>彦根ボランティアガイド協会</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hikone-400th.jp/guide/">
        <![CDATA[　3月21日から始まった「国宝･彦根城築城400年祭」は、盛況のうちに推移し、はや残り3カ月となりました。お陰さまで、ご依頼の有った「予約ガイド」は例年の三倍近く、「ご城下巡回バス」には毎日乗務と、彦根ボランティアガイド協会の会員はガイド活動に日々忙しく過ごしております。

　ガイドが好きで当協会に入っている私たちにとって、例年の三倍のガイド機会が有る今年は、本当に恵まれた年です。しかし、手放しで喜んでばかりはおれません。期間中は見所が増えていて、しかも混雑しているのに、多くのお客さまの滞在時間は、今までと大差が有りません。そんな状況の中でご案内するのは、いつも以上に難しいことかと思います。またそれと共に、ご案内回数が多いことで、変に「ガイド慣れ」する恐れも有ります。

　こんな時こそ初心にかえって、謙虚に自分のガイド内容を反省し、一回一回のガイドに心をこめて、今年の秋をより充実したものにしたいと、私たちは願っております。

<img alt="P6010074（ひこにゃん）.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/P6010074%EF%BC%88%E3%81%B2%E3%81%93%E3%81%AB%E3%82%83%E3%82%93%EF%BC%89.jpg" width="360" height="480" />]]>
        
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    <title>ようこそ彦根へ（11）「探してみよう!! 彦根城の転用材（五）」</title>
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    <published>2007-08-12T04:24:24Z</published>
    <updated>2007-10-31T11:05:17Z</updated>
    
    <summary>「石」について （１）彦根城の築城時には、大坂にまだ豊臣家の勢力が残存していまし...</summary>
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        <name>彦根ボランティアガイド協会</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hikone-400th.jp/guide/">
        <![CDATA[<strong>「石」について</strong>

（１）彦根城の築城時には、大坂にまだ豊臣家の勢力が残存していましたから、築城は急ぐ必要がありました。山から石を切り出して、悠然と構えた築城はできません。そこで、近くにある石を移し、石垣用として転用しました。

（２）どの位の石の量が必要なのでしょうか？
大坂城の石垣の石の量（表面に見えている数）は約100万個（海津栄太郎 元関西城郭研究会会長）といわれています。ちなみに、大きさは異なりますが、エジプトのクフ王のピラミッドの石は約300万個です（NHK TVより）。
彦根城の石の量も莫大な数となるでしょう。

（３）いつごろ、どの地域から石を移したのでしょう？
古文書には「佐和山、大津、安土、長浜の古城より来る」とあります。
前出の海津栄太郎氏の推定によれば、
・大津城：第1期
・安土城：第2期
・佐和山城：一部は第1期、残りは第2期
・長浜城：第2期
・敏満寺：第1期（多賀町教育委員会）

　第1期工事で造営した第一郭の内堀以内の石垣は、大津城、安土城、及び佐和山城の一部から転用したと考えられる。すなわち、長浜城は慶長年間幕府直轄領でした。内藤氏が長浜に入城し、大修築を行い、北陸勢力に対する近畿最北端の前線陣地としました。元和元年の「大坂夏の陣」後に、内藤氏を高槻に転封し、長浜城を廃城、城を取り壊し彦根城築城用材に使われた。この事から、長浜城の石垣は彦根築城の第2期以降となります。

　また、佐和山城の石垣は、井伊直政及び家臣団が残存する城内の建物を利用していたので、彦根築城と並行して行われる武家屋敷が整うまで、佐和山の石垣を取り外すことはできなかった。佐和山から彦根への転出者が増えるに従い、壊せるところから順に少量ずつでも彦根に運んだのでしょう。
それ故、第1期の一部と第2期にかけて、佐和山の石垣は取り壊された。
<img alt="彦根城と佐和山2.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/%E5%BD%A6%E6%A0%B9%E5%9F%8E%E3%81%A8%E4%BD%90%E5%92%8C%E5%B1%B12.jpg" width="480" height="360" />

　第1期に必要な石を補充するため、安土城の山下の運びやすい位置からも採取した。それに、信長により元亀3年(1572)焼き討ちを受け、廃寺になった敏満寺(胡宮神社)の堂塔礎石は彦根城に運ばれた。
現在は総大門の礎石と灯籠台座石一基が残されている（多賀町教育委員会）。
彦根城ではっきり転用材（石）としているのは、第1期の第一郭に集中している事からも、急ぐ必要があったので、近くの墓石・石小仏等、てっとり早く運搬しやすい所から取り外されたものと言える。

（４）具体的な転用材(石)は、①～⑦までが分かっています。
①石仏：「着見櫓台東面石垣」（普段歩けない所です）
②宝篋印塔(ほうきょういんとう)基礎：「裏坂曲がり角」（下り左側石垣、見つけやすい）
③枘穴(ほぞあな)付台石：「太鼓門櫓左隅石垣」（見つけやすい）
④石棺材：「鐘の丸登り口右の根石」（分りにくい）
⑤宝篋印塔基礎：「鐘の丸石垣出角、大手竪掘の前」（分りにくい）
⑥小型石塔部品数個：「大手桝形石垣の中から」
⑦宝篋印塔基礎：「内堀外側、彦根東高校前の分岐道路」（堀側に身を乗り出すと見ることができる）

いずれにしても、転用材であることは分りますが、どこから来たものかは分らずにおります。
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    <title>ようこそ彦根へ（10）「探してみよう!! 彦根城の転用材（四）」</title>
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    <published>2007-07-31T12:48:08Z</published>
    <updated>2007-07-30T01:17:33Z</updated>
    
    <summary>（３）西の丸三重櫓 (ア)この建物は建長11年(1606)に完成し、井伊年譜には...</summary>
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        <name>彦根ボランティアガイド協会</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hikone-400th.jp/guide/">
        <![CDATA[<strong>（３）西の丸三重櫓</strong>
(ア)この建物は建長11年(1606)に完成し、井伊年譜には「瓦は小谷山の土を用いて焼く」とある。小谷城移築の説が誤り伝えられた元となっている。瓦へら書によると屋根替は寛永10年(1633)に行われた。また嘉永6年(1853)には、土台まで取り替える大規模な解体修理が行われた（墨書銘による）。さらに明治19年には、屋根廻りの修理が行われた。
(イ)屋根瓦の葺替は、古い瓦（建長時期）と寛永瓦が全体の3割近く、嘉永瓦が5割、残りが明治以降のものだった。このことから、使える部材（瓦）は利用し、他の所で使われていた部材も転用されていたことが分かる。
(ウ)鬼瓦も18個あり、当初のもの3個、嘉永9個、明治以降6個だったが、この内15個を取り替えた（滋賀県教育委員会1962年資料）。古い鬼瓦3個の内１個は三重櫓の東続櫓（天守側）にあり、三つ柏のような、橘を変形したような瓦紋がある。
(エ)ガイドをしていた時に大工の棟梁の方からお教えいただいたのだが、この天守側の櫓屋根で切妻の所は雨しまいを施工してなく、本瓦葺きの平瓦のままであった。瓦を重ねる長さ・粘土など、瓦の施工方法がよく分かるものが残っている。

<strong>（４）天守</strong>
　彦根城の美しさの一つが、屋根にあります。屋根を飾る破風が多いこと。また最上重に唐破風を用いるのは、「黒田家屏風」に画かれている「大坂城天守・姫路城天守・宇和島城天守」にも見えるが、現存するものでは彦根城天守が最も古い。
　屋根の鯱が金箔となっています。彦根城は織田信長、豊臣秀吉が関係する城でもありません。なぜ、金箔が使われているのでしょうか。昭和34・35年に彦根城天守の大修理が行われました。その時に、金の鯱の断片が発見され、それによって推定復元を行った（滋賀県教育委員会 彦根城修理報告書）。
　彦根城は大津城の移築です。大津城が金箔瓦を使用していたのだろうか。当時の大津城主 京極高次は、その前は近江八幡城主です。そして大津城もまた近江八幡城からの移築と言われています。近江八幡城は豊臣秀次の頃金箔瓦だったので、これが彦根城まで転用されたのでしょう。しかし、附櫓の展示品鯱瓦（素焼品の黒色）は、いつの時期に作られたのだろう。これが疑問点として残ります。

<img alt="P3280045（天守・続櫓・多聞櫓）.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/P3280045%EF%BC%88%E5%A4%A9%E5%AE%88%E3%83%BB%E7%B6%9A%E6%AB%93%E3%83%BB%E5%A4%9A%E8%81%9E%E6%AB%93%EF%BC%89.jpg" width="480" height="359" />
<strong>（５）続櫓・多聞櫓</strong>
　続櫓の建築された時期は不明ですが、天守完成の2・3年後、または元和の時代かもしれません。ここに使用された鬼瓦も、転用材と言えるものが多くあります。瓦紋は井桁のみならず、三つ柏の模様、橘等々種類が多い。黒門側に下りる時に、屋根を見上げてください。
　なお、多聞櫓は慶安3年(1650)に付け加えられた櫓です。
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    <title>ようこそ彦根へ（9）「探してみよう!! 彦根城の転用材（三）」</title>
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    <published>2007-07-19T02:46:48Z</published>
    <updated>2007-07-18T07:59:51Z</updated>
    
    <summary>「瓦」について 今回は瓦について、興味あるお話をします。皆さまも、ぜひ彦根城の瓦...</summary>
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        <name>彦根ボランティアガイド協会</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hikone-400th.jp/guide/">
        <![CDATA[<strong>「瓦」について</strong>
今回は瓦について、興味あるお話をします。皆さまも、ぜひ彦根城の瓦を見て、新しい発見をしてください。

<strong>（１）天秤櫓</strong>
(ア)この櫓は、長浜城の大手門を移築したと、井伊文書に記してあります。彦根城の築城が慶長9年(1604)で、この時期の長浜城城主が誰かは不明ですが、慶長12年(1607)に内藤信成が入城します。それから元和元年(1615)に廃城されるまでは、長浜城の大手門は活用されていたと推定されます。そして、彦根城へ移築された時の転用材として、瓦も当然含まれていると思われます。
(イ)この天秤櫓の鬼瓦には、興味が有ります。天守に向かって右側の櫓にある鬼瓦は上り藤の家紋だが、左側は三つ柏の模様となっている。三つ柏は山内一豊（天正12年～18年まで長浜城主）の家紋であり、内藤家の家紋は下り藤である。
(ウ)また、天秤櫓の裏側・現在400年祭の会場入口から屋根を見ていただくと、二重櫓側の屋根降棟鬼瓦は三つ柏、隅棟部の鬼瓦は上り藤、また正面左側の鬼瓦は全て井桁となっている。
(エ)嘉永7年(1854)に、天秤櫓は大修理された。そこで、鬼瓦が新しく井桁になるのは分かるけれど、なぜ異なる鬼瓦が多く使用されているのだろうか。長浜城からの転用材なのか。長浜城主の内藤家の家紋は下り藤なのに、ここの鬼瓦はなぜ上り藤なのか。
(オ)天秤櫓の鬼瓦は、「不思議な」集合体の屋根瓦になっています。現在の瓦であれば、規格化された同一品となると思うが、江戸時代の鬼瓦は転用することが標準だったのでしょうか。「不思議」です。
<img alt="PA290007（天秤櫓・右側）.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/PA290007%EF%BC%88%E5%A4%A9%E7%A7%A4%E6%AB%93%E3%83%BB%E5%8F%B3%E5%81%B4%EF%BC%89.jpg" width="480" height="360" />

<strong>（２）太鼓門櫓</strong>（門柱はケヤキ材）
(ア)天守に登城時の門の上は、井桁の鬼瓦となっている。しかし、Ｌ形の続櫓の鬼瓦は上り藤で、松原瓦師 善九郎（寛政8年）の銘がある。
(イ)昭和30年の全解体報告書（滋賀県教育委員会、1957年）によれば、東側廊下手摺作成の墨書（文政9年）及び鬼側には松原の瓦師善九郎（寛政8年）があり、文政年間の建物修理は大規模だった。天守の鬼瓦にも寛政8年の瓦師善九郎の銘があり、寛政年間には瓦の屋根替修理が行われたことが分かる。江戸後期なのに、一部分の鬼瓦のみ、なぜ井伊家と異なる瓦紋を使用するのだろう。転用瓦の一種だろうか。
<img alt="P6010120（太鼓門櫓屋根）.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/P6010120%EF%BC%88%E5%A4%AA%E9%BC%93%E9%96%80%E6%AB%93%E5%B1%8B%E6%A0%B9%EF%BC%89.jpg" width="360" height="480" />

<strong>次回は、「西の丸三重櫓」と「天守」について、ご紹介いたします。</strong>

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    <title>ようこそ彦根へ（8）「探してみよう!! 彦根城の転用材（二）」</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://400th.heteml.jp/CMS/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=8/entry_id=753" title="ようこそ彦根へ（8）「探してみよう!! 彦根城の転用材（二）」" />
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    <published>2007-07-09T08:36:53Z</published>
    <updated>2007-07-08T02:59:56Z</updated>
    
    <summary> （４）天守 　大津城からの移築と、文書に記してあります。それでは、どれほどの部...</summary>
    <author>
        <name>彦根ボランティアガイド協会</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hikone-400th.jp/guide/">
        <![CDATA[<img alt="彦根城天守（春2小サイズ）.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/%E5%BD%A6%E6%A0%B9%E5%9F%8E%E5%A4%A9%E5%AE%88%EF%BC%88%E6%98%A52%E5%B0%8F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%BA%EF%BC%89.jpg" width="480" height="359" />

<strong>（４）天守</strong>
　大津城からの移築と、文書に記してあります。それでは、どれほどの部材が再使用された（現在も残っている）ものでしょうか？

（ア）附け櫓の天井は、曲がりくねった材木で小屋組みされた建物です。当時を考えれば、これほど曲がった材木を使用しなくても、太くて大きな材木がいくらでも入手できたろうにと、思われます。
私がガイドした、ある棟梁（大工の頭）の方のご感想は、「この小屋組みは、当時の大工さんの趣味で築城されたのではないか？」「太い材料と細い材料の接合、曲がった材料等の組み合わせは、時間を多くかけて考えた趣味以外のこととは思えない。」とのことでした。
ともあれ、ここにも細い材木の「枘（ほぞ）穴」があり、中央部で見つけ易いです。

（イ）1階の武者走り（附け櫓から階段を登って左側へ）、武者溜りの手前天井に大きな梁があります。この梁にも、斜めに切られた大きな枘穴を見つけることができます。この枘穴の反窓側80cm位の所に、小さく底の浅い枘穴が加工されています。同じ間隔で2ヶ所あります。
栃木から来られた大工さんが「この材木はここに使用される以前は、この梁の下に壁がありましたね」とのことで、転用材に間違いありません。

（ウ）1階武者溜りには、多くの転用材を見つけることができます。学生さん達を連れて、転用材探しをする機会がありました。すると、この場所の明るさもあって、学生さん達は大いに張り切り、ガイドが知らない所も探し出しました。この場所では、転用材が大いに勉強できます。ぜひ一度、試してください。
　ちなみに転用材のある場所は、
①.2階から階段を下りて、1階直ぐの真上の大きな梁には、枘穴を埋めています。また、枘穴の下には数字があります。（何のための数字でしょうか？）
②.大きな梁の奥と左側にも、さらに梁の上と柱などにも多くあります。また、窓側の柱も、枘穴のある材木です。

（エ）その他転用材のある場所
①.1階階段を上る前の、ロープが張っていない部屋の天井に大きな枘穴があります。
②.2階展示品のある部屋の奥中央天井の梁には、枘穴がある材木があります。
③.その他、武者走りの所の小梁にも、枘穴を埋めた材木を多く見かけます。ぜひ、探してください。

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<strong>前回と今回は、「材木」の転用材についてご紹介しましたが、次回からは、「鬼瓦」と「石」についてご紹介いたします。</strong>]]>
        
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    <title>ようこそ彦根へ（7）「探してみよう!! 彦根城の転用材（一）」</title>
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    <published>2007-06-27T12:02:36Z</published>
    <updated>2007-06-28T00:07:28Z</updated>
    
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        <name>彦根ボランティアガイド協会</name>
        
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        <![CDATA[　彦根城は色々なお城から部材を移して、建設されたお城です。他の所（城または寺など）で使用されていたものを、再使用のため異なった所に使った転用材が多い。
　それでは、何か証拠となるものを具体的に探してみましょう。幸いにも、彦根城は400年祭開催中です。普段は入れない、天秤櫓、西の丸三重櫓の建物内も見ることができます。
　さあー探してみましょう、転用材!! 例えば、「材木」「石」「鬼瓦」が証拠としてはっきり分ります。

<strong>「材木」について</strong>

<strong>（１）天秤櫓</strong>
　天秤櫓は、長浜城の大手門から移築されたと、文書にあります。それでは、どの部材が移築された（現在も残っている）ものでしょうか？
（ア）櫓門の柱（天守に向かって左側）の裏側には、2ヶ所の枘（ほぞ）穴があります。明らかに、この大きな門柱は転用材で、以前どこかで（長浜城の大手門）使われていた跡がはっきりしています。
（イ）建物内部にも一部枘穴のある梁はあります。しかし、それほど多くの転用材はありません。それは、「嘉永7年（1854）に解体修理上棟された」と、彦根城修復の歴史（彦根城博物館資料）にあり、この時に長浜城移築時の材料は少なくなったのでしょう。
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<strong>（２）太鼓門櫓</strong>
　この門も、どこからか移築されたと、伝承されています。天守に登城する方向から見た門柱の左側には、くぐり戸がありますが、右側の門柱にはありません。しかし、右側門柱の裏側には、明らかに、くぐり戸を取り付けるために加工された所と、戸の留め金具跡があります。
　門柱の右側と左側を見比べますと、同じ加工がしてあることがはっきりします。このことから、以前に使用されていた門では、左・右側共にくぐり戸があったことが分ります。この門柱は、明らかに転用材です。
<img alt="P3280030（太鼓門櫓）.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/P3280030%EF%BC%88%E5%A4%AA%E9%BC%93%E9%96%80%E6%AB%93%EF%BC%89.jpg" width="480" height="360" />

<strong>（３）西の丸三重櫓</strong>
　この建物は、嘉永6年（1853）に大修理されて、柱や梁などの8割近くが、移築時のものから江戸時代後期のものに取り替えられました。それでも、一部に転用材を見ることができます。
（ア）1階から2階へ上がる階段の床材に、枘穴のある梁があります。
（イ）「く」の字に曲がっている天守側多聞櫓の中央部内側柱に、枘穴のある柱があります。
（ウ）三重櫓の2階・3階にもあると思えますが、立ち入り禁止となっていますので、次の機会に調査します。
<img alt="P4060012（春の西の丸三重櫓）.jpg" src="http://hikone-400th.jp/guide/img/P4060012%EF%BC%88%E6%98%A5%E3%81%AE%E8%A5%BF%E3%81%AE%E4%B8%B8%E4%B8%89%E9%87%8D%E6%AB%93%EF%BC%89.jpg" width="480" height="360" />

<strong>天守については、次回「ようこそ彦根へ（8）～転用材（二）～」で、ご紹介いたします。</strong>


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