列伝〜井伊家十四代〜

第16回 激動の夜明け前~井伊直中~

世の中が緩やかに、しかし確かに動き始めた時代。
積極的に領内に関わり、現代まで伝わる遺構を残した藩主がいた。

いわゆる幕末とは、激動の時代であったと語られる。佐幕派・開国派、尊王攘夷、欧米列強との不平等条約――。様々な思惑が入り混じって、文字通り時代を激しく揺り動かしていた。当然のことながら、その動きは幕末になって唐突に発生したわけではない。歴史の中で少しずつ積み重ねられてきたものが、少しずつ緩やかに動き出した結果である。
世の中が激しさを増す少し前。新しい時代に向けて徐々に動き始めていた江戸時代後期。井伊直中が藩政を執ったのはそんな時代であった。

直中が江戸で生まれたのは明和三年(1766年)のことである。直幸の七男で、幼名を庭五郎といった。
父・直幸は幕府大老としての任に就き、彦根藩の執政はもっぱら直中の兄である直富に任されていた(注1)。直富は領民のことを思いやる人柄で、誰もが時期城主に相応しい器と認めていたが、彦根在国中に病に倒れ25歳の若さで早逝してしまう。その結果、直中に嗣子としての白羽の矢が立てられることになった。天明七年(1787年)のことである。

寛政元年(1789年)、直中は亡くなった父の跡を襲って藩主となった。
寛政という年号が示すとおり、世の中は江戸時代三大改革の一つといわれる、老中・松平定信の「寛政の改革」只中である。それまでの重商主義的な政治を改め、徹底した倹約が勧められていた(注2)。直中もこれに倣い、藩内を厳しく引き締めていく。
父・直幸の遺金として領民に金を与え、家臣たちには徹底した倹約を勧めた。町会所を設けて消防の制を強め、新田開発を進めるなど、藩の力を回復させることが直中の第一に捉える事であったのだろう。

直中自身は文武両道に長けた人で、特に鉄砲に関しては米村流の奥義を極めて「一貫流」という流派を興すまでであったといわれている。

ところで、直中といえば、現代にも当時の面影を色濃く残しているものを二つ作っていることに触れなければならない。稽古館の創立と天寧寺の建立である。
稽古館は寛政十一年(1799年)に建てられた彦根の藩校である(注3)。算術や天文学などの学問から砲術などの訓練まで、藩士の教育がここで行われた。当時一流の教育機関であったらしく、諸藩から視察が訪れている。やがて弘道館と名を変え、彦根藩士の高い学力の支えとなった。城郭の中に立てられた建物一部が、現在も金亀会館として残されている。
天寧寺は彦根五百羅漢の寺として有名である(注4)。腰元が不義の子を身ごもったと知った直中が怒りこれをを罰した。しかし、後になってその相手が自分の息子であったことを知った直中はひどく悲しみ、腰元と孫の菩提を弔うために天寧寺を建立した。ここに祀られている五百羅漢は一体ごとに違った表情をしている。「亡き親、子供、いとしい人に会いたくば、五百羅漢にこもれ」といわれ、多くの人が足を運びその中から親しい人と似た顔を探したのだという。直中が建立したときの思いが伝説となって現代まで語り継がれているのかもしれない。
その他にも、佐和山に石田三成の慰霊するために直中によって建てられた碑が現存している。

文化九年(1812年)、直中は息子の直亮に藩主の座を譲って隠居し、天保二年(1831年)に彦根で死去した。享年62歳。市内の清涼寺に葬られた。

直中が彦根藩主に就いていたころというのは、それまで閉じられていた風土にあった日本が徐々に開かれていた時代である。ロシアやイギリスといった列強が通商を求めて日本に開国を迫る事件が頻発しておきている(注5)。これは幕府内で大きな立場にあった井伊家にも無関心でいられない事態であった。やがて、直中の息子達がその潮流に巻き込まれていくこととなる。
彦根城築城から200年。間もなく後に幕末と呼ばれる時代が始まろうとしていた。

(注1)列伝第15回参照
(注2)8代将軍・徳川吉宗の孫の松平定信が行った改革。緊縮財政と風紀取締りを徹底した。定信自身による改革の達成はならなかったが、このときの取り組みは後の江戸幕府に受け継がれることになる。
(注3)江戸時代、諸藩が子弟を教育するために設けた学校のこと。現在の市立彦根西中学校の建つ場所が稽古館のあった場所とされる。
(注4)現在の彦根市里根町に建立されている。
(注5)イギリス船がオランダ商船と偽って長崎に入港し、強引に薪水給与をもとめたフェートン号事件(文化五年)やロシア軍艦の艦長を日本が拿捕したゴローニン事件(文化8年)など。

参考資料
中村直勝監修『彦根市史 上冊』彦根市1960年(博文堂1987年復刻)
彦根市史編纂委員会編『新修 彦根市史 第六巻 資料編 近世一』彦根市2002年
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・「寛政」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2007年4月13日19:40(UTC)、http://ja.wikipedia.org/wiki/寛政

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